小野地区の人達の思いについて、自分なりに理解を進めることができました。
2021年10月27日
毛利秀就公の生誕の地のお世話もされている藤本さんから、これまでいろんな資料を頂きながらお役に立てずに来ていますので、この度、大変不十分ですが、駆け足で、紹介させていただきます。
水は生き物にとってなくてはならないものであり、水源の重要性はいうまでもない
都市が大きくなれば、農業用水、工業用水、生活用水が大量に必要となり、水の需要が大きくなり、安定な生活のために、ため池やダムが建設されることになります。
農業用の御撫育用水は江戸時代1790年に完成していますが、厚東川ダムは、宇部の発展を支えた石炭鉱業とその後のセメントや化学工業による人口増大による水需要の増大があり、1940年に多目的ダムとしてダム工事に着手されます。当初は1943年の完成の予定ででしたが、戦局の悪化により一時中断します。戦後宇部興産による資金援助を受け、1948年5月にダム工事は再開され、1950年3月に完工しました。(ウィキペディア)
戦時中であったので、十分な補償がなされなかったのではないかと推測されますが、当然、村の重要な部分が湖底に沈んでしまった悲しみはおおきなものであったでしょう。
ゴルフ場問題
1989年前後に小野湖畔と藤河内にゴルフ場建設計画があり、1992年藤河内の環境影響評価準備書について、宇部市公害対策審議会が否認した。当時の中村市長はこの決定を無視して地元の意向に沿う行動をとろうとされたため、市長のリコール運動が起こり、市長辞任となりました。しかしこれに対して地元の反発は大きかったことはよく覚えています。
1994年水道水源特別措置法が制定され、全国的に水源保護の関心が高まった時代でした。なお小生は、当時、住民の方々にアンケートをして、判断の参考にしました。
その後、藤田市長の時代2008年4月に、地元活性化も考慮において、アクトビレッジおのが開設されました。
久保田市長の時代、2011年に厚東川ダム60周年記念事業がアクトビレッジおので開催され、小野小学校の南西側下の道路沿いに3本のユリノキが植樹されました。
http://ubekuru.com/blog_view.php?id=124
地元の石川幸人さんの講演はとても印象に残ろものでした。残念ながら、筆者のメモは見当たらず、エコプラザ通信に安藤さんが感想を書いています。
http://ubekuru.com/uploads/monthly/3.pdf
小中学校の存続問題
地域人口の減少によって、住民の反対にも関わらず、2016年より小野中学校は廃校になり、直線距離でも10km離れた厚東川中学校に統合されました。
藤本恭子さんは、小野小学校の学童保育クラブで活躍されていますが、仲間の方々と、小野中学校の存続のために様々なアイデアを議論され、2012年に40名の中学生にアンケートの結果では統廃合反対は80%でした、
しかし2015年には統廃合の方針が決められ、当時のあきらめられない気持ちを「季刊地域」に寄稿されています。その一部を引用しています。
廃校後の小野中学校の校舎は、竹ラボが設けられ、紙漉場は残されています。
https://project.nikkeibp.co.jp/hitomachi/atcl/study/00054/?P=2
2016年7月~11月にかけて旧小野中学校理活用検討委員会で5回の協議が行われ、宇部市に提出された提言書には、以下のような事項が上げられていましたが、6次産業化には竹の有効活用に焦点が絞られた結果になっています。
①同窓会の場として活用 小野応援団の発掘、情報発信・拡散のため、同窓会の場として活用するとともに、同窓会企画のプロデュース、同窓会管理事務を行う。
②山村留学施設 学校施設という特長を生かし、山村留学施設として活用する。
③オリーブ関連事業 6次産業化推進事業に、オリーブ栽培など新たな要素を加え、魅力アップを図り、関連ビジネスの新規展開につなげていく。
https://www.city.ube.yamaguchi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/003/773/ono_rikatsuyou_teigensyosteisyutu.pdf
藤本さんらはその後も持続的に小野地区に移住者を呼び込む計画や、教育の里づくり、地方創生の仕事づくり、森と湖の里づくりなど、夢のある構想をまとめられるとともに、2016年4月には長野県泰村から、山村留学等、暮らしの学校だいだらぼっちの創始者辻英之さんを招いてお話を聴いたり、さらに同年2019年9月には実際の現場を訪問したり地道な活動も継続されています。
小野地区の抱える問題は、日本全体の非常に重要な大きな問題であり、やはり基本的には農林水産業で生活できるような経済システムを再構築する必要があります。
持続可能な社会づくりにとっては基本的、不可欠な条件であるように思います。
4半世紀前ごろに中山間地域の活性化が注目されたころに都市と農村の共生が言われ、現在の里山、里海の保全にも同じようなスタンスが続いているように思われます。
しかし時代とともに高齢化が進み、事態はいよいよ厳しくなっています、
基本的な食料、木材等のバイオマスの重要性が増す中、無条件にTPPに乗っかるのではなく、農林水産業で生活できるような経済システムの構築を目指す必要があると思います。
コロナ化を契機に若い人たちの地方に対する関心も高まることが予想されますが、今までとは少し価値観を変えて、こういった地域に定住してがんばれる、やる気のある人材育成には、山村留学のような制度も有効であしょうが、何より、教育体制自体を見直す必要があり、家庭教育、幼児教育、小中学校教育、高等教育まで通して、抜本的に見直すことが重要であるという思いを強くしています。
われわれも、貴重な水、安心な食料、再生可能エネルギーの自給など2050年を目標にして、真剣に対策を進めていかなくてはならないのではないでしょうか。
(文責:M.U.)
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