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連休中、半世紀前の本を読み、オンライン旅を兼ねて、日本人の精神性の変化について考えました。
2021年09月24日
連休中、半世紀前の本を読み、オンライン旅を兼ねて、日本人の精神性の変化について考えました。
どちらもすでに50年以上前に出された本ですが、手に取ってみて、学生時代過ごした京都の町の状況などが書かれていて、興味深く読みました。
この時代は、日本の高度経済成長で元気のある時代、京都大学文学部の教授で、お寺の墓碑の研究まどもされていた著者の目からは、お寺が、商業主義に陥って、劣化していくさなかにあったことが書かれています。当然まちなかのたたずまいもそのような変化をする時代だったのでしょう。あらためてああそうだったのかと、大いに参考になりました。
世に魅力あるいい仏像も多いですが、野間さんが実物を観たかった常照皇寺の本尊釈迦牟尼仏の脇侍の勢至菩薩と観音菩薩像です。
これら写真を見て、詩を書かれたのが縁で、期待してお寺を訪問されたが、奈良国立博物館に預けられていて会えなかったそうである。
両菩薩ともいい角度から撮られていて、とくに右側の観音菩薩に魅力を感じられたそうです。
次に、2冊目の高田好胤著「道」についてです。高田好胤さんは当時から有名な方で、特に全国から修学旅行で参拝する若者たちに、当時副管長自ら面白い説教をされることで知られていました。
その中で、一番印象に残ったのは、初めて奈良刑務所での講話を頼まれた時のことです。非行を犯す若者も様々な厳しい環境の中で、やむなくそのようなことになったわけで、途中で、「自分たちが十分な勤めを果たさなかったことに反省します」として、思わず、聴衆に合掌をされたそうです。
たしかに、今コロナ禍の終息がみられないまま、将来に不安を抱える若者も多い中において、静止点来な支えになるべき、お寺をはじめとする宗教者の目立った動きが見られないのは、半世紀前の状況がより一層徹底したものになっていると言えるでしょう。
今回改めて、ネットで薬師寺に行ってみると、本当に広大な境内に金堂、大講堂、東塔、西塔等々立派な伽藍がありますし、北側にも、本坊や玄奘三蔵院伽藍などがあります。
しかし全体に見ると、いかにも観光客向けの雰囲気が見られます。
同書の中で、東大寺の大仏殿のことも触れられていますが、当時は隋や唐に対する国威発揚に大きな目的があったと書かれています。
いずれにしても何十億円という伽藍の修理費用捻出のために、大口寄付に頼るのではなく、一人千円で百万人に般若心経の写経をすることで、お金を集められたのは大したものだと思われます。
関連して三冊目ですが、やはり書庫にあった「現代の覚者たち」という本も読みましたが、7名の方々へのインタビューとして、それぞれの考え方を引き出したものです。
その中で、哲学詩人坂下真民さんのお話が印象に残りました。「念ずれば、花ひらく」という言葉は、坂下さんのお母さんが5人の子ども達を女手一人で育てられて苦労された中で、念仏のように唱えられていたもので、坂下さんも、いつの間にかそれを引きついておられるということでした。
考えてみれば、お寺が劣化するきっかけは、江戸幕府による檀家制度の導入、明治維新の廃仏毀釈が大きいですが、それでも、長年かけて形成された、神仏混淆の分かはそう簡単にはなくならず、坂下さんおお母さんのような素朴信仰心が脈々と受け継がれてきたのだと思います。
それが、太平洋戦争敗戦後、アメリカ文化の影響を受け、教育の中に宗教を持ち込むことを禁じられtことにより、徐々に、その良き伝統も劣化してきて、1970年ごろに、経済成長とともにその状況が一般化してきたんだなあという理解ができたような気がしました。
これから持続可能な人類文化をつくっていかなければならない時代において、やはり、こういった謙虚な信仰心のようなものをもう一度取り戻すことが、必要であるように思います。 (文責:浮田)
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