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里山ビオトープ二俣瀬で水車再建後の通水式がありました。
2020年08月05日
8月1日、里山ビオトープ二俣瀬で水車再建後の通水式がありました。
この水車は、2001年4月にこのビオトープのシンボルとして、地元の商興会が中心になって建造されたものです。
20周年を迎えての動かなくなっていた水車の再建である。当初のものよりすこし小さくなったそうだが、しっかりした材質で作られ、通水式では無事回転しました。
「里山ビオトープ二俣瀬をつくる会」原田満洲夫会長の挨拶の中で、当地の誇るべき土木遺産として「駒の頭」という、対岸の木田地区へ、甲山川の水をサイホンで灌漑用水を送る施設があることに触れられた。興味を持ったので、あとで資料を送っていただいた。
当日は、長い梅雨が明けたばかりで、暑かったですが、良い天気でした。前日までに、同会の会員の方々が草刈りなどしてきれいにされていました。
下の写真で、右側の小川が須賀河内川、水車は真ん中やや左に土が露出している左側にあります。
駐車場の位置から徒歩で少し歩くと、左側に昭和山遊ロード二俣瀬の看板がある。
ビオトープも含めてこのロード沿いにも、色々な生きものが生息するので、「親子自然観察隊」の活動も長年続けられていて人気がある。
ややわかりにくい場所で、遠くから来る人は迷う人もいるそうなので、小さいけれど、1枚目の写真にグーグルマップもはりつけてある。
さて、「駒の頭」であるが、「わたしたちの宇部」の中にも記述がある。
右側の写真で見るように、下流側から見て右側すなわち左岸側の方が、左側対岸の木田側より地盤が高いことがわかる。
気密性を保った木管を厚東川河床に埋めて、サイホンの原理を応用して、甲山川の水を木田地区に送る水利施設がいつ頃最初に作られたかは諸説あり、上記宇部市教育委員会の資料では、およそ600年前になっている。原田会長から送られてきた資料では、1699年まで335石が享保14年(1729年)844石と約2,5倍また左岸側の車地地域でも約4,7倍と大幅に増加したとあり、何代かにわたり送水管の気密性が時代とともに改善された可能性もある。
原田さん達「二俣瀬まちづくりサークル」の方々の報告の中での、図を参考までに、引用させていただくが、右側の「駒の頭の絵は、対岸下流側の噴出口のものである。
左側の車地側分配堰の辺の構造が定かではないが、おそらくここに水車が使われていたわけではなく、ビオトートープのシンボルとしての水車は当時の利水の象徴として建てられたものか確認が必要である。この辺りについては原田会長に後日補足をいただければと思う。なおこの厚東川を渡る「駒の頭」は回収を重ねながら現在も使われている。
最後にこの里山ビオトープ二俣瀬は今年度20周年を迎え、中心メンバーの高齢化も少しずつ進んでいるようだが、都市部からの人達の参加もあり、今までの所活発な活動が維持されている、
発足当初からの会報もすでに228号もあり、月3回程度の維持活動を継続され、心より敬意を表します。
http://biofutamatase.s1007.xrea.com/biotop.html
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