8月28日に開催された、環境サロン「世代間・地域対話」 第3回 「いま、なぜ環境倫理が大切なのか」浮田正夫(うべ環境コミュニティー)の概要です。
2014年09月02日
まず基本的な問題認識として、1)環境を「自分をとりまくすべてのもの」と社会環境も含めて広くとらえているということ、2)寿命も伸び、ものは豊かになったが、こころは貧しくなったのではないか。これで良い環境と言えるのか?、3)身の回りの環境はきれいになり、切実な環境問題は沈静化しているが、持続可能社会に向けての課題である、省エネ/低炭素・循環・共生はいずれもそう簡単ではない。4)問題解決のためには、我々の考え方、価値観から見直す必要がある。とした。
また、いわゆる社会倫理は人と人の間の規律や礼儀、環境倫理は人と自然(他の生き物)の間の規律や礼儀であるとした。
持続可能社会をつくるということは、地球上の人口の増加、生活レベルの向上を考えると非常にむずかしい課題であるが、ともあれ、問題解決のためには1)倫理・道徳的方法、2)規制的方法、3)経済的方法、4)技術開発による方法がある。
この中では、経済的方法が、自然に適正な行動の選択ができることから、もっとも実際的であるとした。
しかし、そのためには、それができるような、費用負担や規制などの仕組みが必要である。そして、そのような社会の仕組みに変えていくために、健全な倫理・道徳が必要であるということであり、結局この部分が一番重要であるということになる。技術については、そのような社会に受け入れられるような製品・サービスが提供できるように、技術開発が行われるだろうとした。
この時代にあって、ある意味では仏教の教えは、いま求められる環境倫理そのものである。たとえば、「山川草木悉皆成仏」と言われるように、戒律の中で、重要な部分を占める「不殺生戒」は生命を尊重し、無益な殺生をしないように教えている。
また、「天網恢々疎にして漏らさず」と言われるように、すべての生きとし生けるものは、網の目のようにつながっている と教えている。
余談であるが、われわれがいかに生きるかについて、生老病死は誰も逃れることができない、不変のものは何もないので、執着をなくすことが大切であること、人々や、生きとし生けるものに対する慈悲の気持ちを持つことが重要であると教えていて、今の時代に求められる素晴らしい教えであるにもかかわらず、日本の仏教は概ね葬式仏教と揶揄されるようにこういった肝腎なことを教える努力をしていないのはたいへん残念なことであるとした。
議論:
○仏教の基本的な考え方で、すべてのものがつながっているというのは縁起という考え方。人間の苦しみの原因は、限りない欲望にあり、少欲知足ということが大事。
○仏教も色々あるが、
→原始仏教というか元々のブッダのいかに生きるべきかという教えが大事と思う。
欲望を抑えるのは、若い人には受け入れにくいのは自然の傾向だが、
○ドイツは自国内ではグリーンエネルギー重視でドイツ企業が周辺他国での石炭火力をつくったり矛盾している。インドネシアでも経済を優先して石炭火力を推進するとか心配な面がある。
→スマトラのムスリムの人たちは、結構素朴な生活をされている。大会社を経営して経済を支配しているのは中国系の人たちだったりする。
○敗戦後、食べ物のない時代から、まず食べられるように頑張ってきた。そのうち、やさいい子より、勉強のできる子が評価され、学歴社会になり、核家族になり、道徳教育もなくなり、仏教含めて、宗教心を忘れ、日本のいい伝統も失われた。全ての命の中で、生きているわけで、「足るを知る」という気持ち、感謝の気持ちを忘れてはならない。
→言われるとおりだと思う。戦後、相続制度、3S政策とか日本の力をそぐ対策もとられたのではないか。道徳教育の復活も行われているが、右翼的な愛国主義のようになりがちだが、国際的にESDの必要性が謳われているが、学校教育でもESDを従来の教育の中にように、寛い道徳教育にしてほしいと願う。
○こども達の体験学習に携わってきているが、今のこども達、若い人たちも、礼儀正しく、そんなに思うほど、問題があるわけではないと思う。「花のほほえみ、根の祈り」という言葉が好きで、大人のそういう願いが大事。また、自然の中での体験教育が大事だと感じる。
ヨットの中では、発達障害の子どもがすごくいきいきしていたことも印象に残っている。
→「森と海の学校」でいい環境を与えてられるということだと思う。たしかにこども素直で可能性が大きい。こども達全員がそういう体験教育を受けられる体制を考えることが大事ではないか。1人の100歩より、千人の0.1歩か。
C:大人の価値観でこども達を見てしまうことに問題があることも多い。子どもに限らず、人を見るときも、自分の価値観で見てしまう。
C:藤野先生のサロンでもそういうことを力説された。こどもより大人が問題だということだった。
○東日本大震災のとき、埼玉県の公民館で地震にあった。その後計画停電があったが、夜電気が消えて真っ暗になる。そのとき、いかに電気に頼った大変な生活を送った。貴重な体験だった。 原発の再稼働に賛成か反対か、やはり反対は少数派であるととうのが問題。
→反対派が少数というのも、偏った情報を与えられていて、正確な情報であるかはわからないのではないか。
○再稼働賛成、反対をきめるときに、価値観が問題なのだが、理屈と価値観がごちゃ混ぜに議論されている感じがする。
→理屈で全部判断できるわけではない。わからない部分は感性で判断するのではないか。来世があるとか、悪いことをすると地獄に堕ちるとか、神の存在とか、真理はわからないが、3歳くらいまでにすり込まれた教えはずっと生きているのではないか。
○子どもの時にすり込まれた教えが変わらないというのはおかしい。成長して学んだことによって価値観が変わることもある。
民主主義のなかでは、正しい情報に基づいて、正しい判断ができるということが大事である。
→それはその通り。学校教育の主要な部分は、算数や理科など、生活していく上でのスキルを身につけさせることのようだが、本当は「なんのために生きるのか」とか、スキルよりも目的の方が大事ではないかと思う。学校の中で政治が大事だとかいうことは触れられないことになっているらしい。
○教員免許の更新のための講義をしているが、先生方は環境もないの表面的なことは知っているが、意外に中身をご存じないのが現実である。人類が今どういう状況に置かれているかは理解されていない。言葉としてはわかるが、行動につながるような実感としてはもたれていないのではないか。教科書に従って教えているだけという状況なのではないかと感じる。
→これだけ情報が氾濫しているので、すでにそういう知識は十分なのではないかという前提で、対応することが多いが、もしそうであればすこしやり方を変えなくてはならないかもしれない。温暖化とか生物多様性にしても実感としてわかりにくいということはあると思う。
○いま倫理とか、道徳をどう広めるかということが話題になっているが、倫理や道徳は時代によって変わる。現代はどのような倫理が求められるのか。
→持続可能な社会をつくるためには、少なくとも今までのような価値観ではだめで、学校の先生も、お医者さんも、お寺のお坊さんも変わらなくてはならないんだと思う。
○みなさんは、環境問題の意識の中で、何がいちばん実感として大きくて、行動につながっているのか。講演では、こころの環境というか、社会環境問題も挙げられたが。
→この頃の異常気象、災害多発に温暖化問題を感じる。EVも原発で安い電気を使えば有利だが、温暖化ガスを大量に出す火力発電の電気を使えば
→3.11以降日本が災害列島になったのではないか。フィリピンの105mというのもあった。
→9月に風速60m/s程度の台風が来るおそれもある。
→放射能汚染に危機感を感じている。情報のコントロールにも注意が必要だ。
→食べるものの安全性、里山を保全し、地産地消で安全な食べ物を確保したい。
○1970年代に出てきた「環境倫理」と今の時代における「環境倫理」の必要性にどういう違いがあるか。
→やはり深刻になっていると思う。1970年頃はまだ生活レベルも低かった。とくに3.11以降その必要性が一層重要になってきた。
○大量生産大量消費の経済システムが根本的に問題があると思う。モノではなくて、機能に対して対価を支払うこと、資源を大切にして、長く使うことが大事だ。
○先祖に感謝したり、万物に神様がやどるという、日本人の伝統はまだ健在であると思う。
Ustream動画はhttp://www.ustream.tv/recorded/51964699
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行動すると学んだ事が納得できる私です。小さな実践を続けていくことにします。
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