第2回環境サロン「新型コロナウィルスコロナウィルス~ いくつかの宗教哲学的考察」の概要です。
2020年10月09日
話題提供者のアスガル・アリさんは、パキスタン生まれ、オーストラリア、コスタリカ、英国、カナダなど様々な国で学び、仕事をしてこられた。13年前に日本に来られ3年間は広島、その後10年間はご家族とともに宇部市で生活し、小中学校で英語を教えている。
専門分野は多岐にわたっており、農業工学(水資源工学、水文学)をベースとしながら環境科学、環境倫理、その後社会科学、哲学に専門分野が移り、持続可能な開発の政治、グリーン運動、気候変動と温暖化の科学と政治などについて研究されてきた。イスラム、仏教、ヒンドゥー教、キリスト教に重点を置いた比較宗教についても造詣が深いい
今回の環境サロンでは、新型コロナウイルスの世界的大流行後、私たちはどこへ向かっていくのか、宗教哲学的な考えをお聞きし議論をした。
宗教の話をすると、人びとは警戒心を持つ傾向があるので少し心配であるが、精神的な実践、精神的な知識としての宗教について、布教のために話すのではなく、私の理解について話しすることを理解して、少し辛抱して聞いてほしいとされた。
まず、世界の宗教の現状について、概括的に話され、主要な宗教の分布図を示された。数的にはキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教が多い。この図では中国は道教、日本は神道になっているようだが、他の分類図では両方とも無宗教になっている場合もある。
宗教のタイプの分類としては北方民族のシャーマニズム系(道教、儒教、神道、チベットの梵教、シベリアのシャーマニズムなど)、アーリア人(インド・ヨーロッパ語族の宗教(ヒンドゥー教、仏教など)、セム語族の一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)に大別されることが示された。
次に、宗教とは何なのかについて、「宗教は宇宙における、究極的な自然や宇宙が人にとってどんな意味を持つのかや、人の存在の意味を説明する。人を救ってくれるものであり、一部の「原理主義者」や「テロリスト」が誤った目的のために宗教を利用することがあるが、本来の宗教は、我々の倫理的、道徳的生き方の規範であるとされた。
続いて、重要なポイントとして、我々のReality(目で見える現実、見えない現実、あえて環境といってもいいかもしれない)の階層性を示す図をを示され、外的環境としては、このTerrestrial地上、Intermediate中間、Cerestial天上、Infinite無限の順に高く、自己のレベル・内的環境はBody身体、Mind心、Soul魂、Spirit精神の順に深く階層をなしている。
次の表で、もう少し簡単化すると、我々の自身のレベルは、Body、Soul、Spiritになるが、現代社会では、Spiritを失いつつあると言えるのではないか。そしてそのことが、現代の様々な問題の根本的な原因になっているのではなかという指摘である。Reality外的環境の認識レベルもBody やMindのレベルに対応した、地上とせいぜい天上の間の中間レベルまでになりつつある現状であり、それが様々な環境危機等のベースにあるのではないかと指摘された。16世紀のヨーロッパでルネッサンス後、デカルト(17C)、スピノザ(17C)、カント(18C)、キルケゴール(19C)らの影響を受けて、Spiritが無視されるようになった。
これが色々な社会問題、環境問題の始まりであると思うとされた。
次のスライドは重要であり、宗教は人間の美徳の源であり、綿湿地に倫理と道徳規範を与える。謙虚さ、自制心、禁欲、質素などを教え、次俗化の宇波ライのためにもっとも必要とされるものでると示されている。
また、イスラムにおける人間と自然との関係に関する、Khalifa とAmanah について触れられ、それぞれ、「人間は神から代理人として自然を適正に管理する責任があること」、「この自然の信託管理をおろそかにして、神からの贈り物である自然を略奪したり、濫用してはならない」と教えているとされた。
さてこの度のCOVID-19パンデミックをどう捉えるかについても、単なる感染性ウィルスによる疾患、公衆衛生の問題、科学技術の問題、環境問題と捉えるのではなく、これらのすべてを含む世界観の問題であると捉えるべきではないかとされた。
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そもそも、宗教的世界観と無宗教現代社会の世界観を対比してみると、図のようになり、前者は宗教が現代科学を含むすべてを包含すると考えるのに対して、後者では科学が宗教をも包含すると考える。
科学はすべてを説明できると主張するが、しかし、科学は、「How?}と言うことには良く応えられるが、我々がなぜ存在するかといった「Why?}と言うことにはあまり応えられない。科学も一種の宗教であるともいえる。
二つの世界観がどのように自然をどう見るのかについて、宗教的世界観から見ると、「自然は神聖であり、単なる資源ではない。我々は管理者であり、所有者ではない。人間は力を持っているが自然に対する責任を負っている。『環境危機はなによりもまず、我々の精神危機である。』という認識である。」
無宗教的世界観では、自然は我々の欲のために資源、原材料として、ただのものであり、環境機器は基本的に技術的な問題である。現代の科学技術は最終的に危機を解決することができるという認識である。、
それで、その結果が大量のごみの発生、海洋プラスチック汚染の問題などを招いているのであるとされた。
結論として、人間の欲望と物質世界への過剰な執着が自然の劣化を招く。宗教はわれわれに謙虚さを教え、これらに制限を課すことができる。人間が自然と自分自身を破壊することを抑制する一種の制御メカニズムである。 我々の中に調和とバランスがなければ、自然に調和とバランスが保てないと、結ばれた。
質疑:
・IntellectとSpirit どうちがうのか。
→Mindの上にあるもので、同じである。一番高い精神性。仏教でいうと涅槃か。
・小学校で教えているが、子ども達を教えるのに宗教的な部分がなく、もっぱら科学的な部分で教育してきた。いまコロナ禍の中でこれでいいのかと考える。神はどこにあるのか天上にあるのかと思っていた、自分の深い部分にあるという風に思うようになった。
→先の階層の図で神様の階層と、自己の一番深い層と同じ層である。仏陀の涅槃は自己の一番深い部分だ。やはり倫理・道徳は宗教から来ている。
・宗教とは何かわからないので、完全に理解できな部分があった。宗教がなければ倫理・道徳が存在しないのか。無宗教であっても
→歴史的な時間のずれがあるが、やはり倫理や道徳は宗教から来ているのではないか。
・それはどう証明できるのか。
→500年前までは、宗教的世界観が支配的だった。それが由来になっているのではないか、
・今の日本人は宗教心を失ってきたのではないか。
・宗教心という言葉で説明がなくてはならないのか。
→なぜ人を殺してはいけないのか。この考えはどこから来たのか?
・今日のテーマとして、コロナ後はどうなるかについて、宗教的観点からどうなるのかに関心があったが、宗教本体の議論が多かったので少し面食らった。
→「新しい規範」が言われているが、いろんなことが変わると思う。今日は自分として Spiritの回復が一番必要であるということを言いたかった。
・現在の宗教界からの発言が少なすぎるように思われた。
・宗教界、科学技術界からも悪いことをする人も多い。どちらも謙虚であるべきと思う。
科学で到達できないレベル、神に託す宗教者の領分だ。
→科学者は謙虚であるべき。
・お互いにわかない部分があってもいい。最近は法事をZoomで やる人もいる。それは少し問題だと思う。
→私のイスラムは自分の選択である。
・一神教と多神教では感覚が異なる。日本人はもうすこし寛容なところがあるんではないか。一神教の世界の人はちょっと厳しいところがあるような気がする。
(サビエルの時代について地獄に対する考え方のコメント誤解していていたことをお詫びします)
→目指す頂上は同じだが、色々な宗教で登る道筋が異なる。ヒンドゥー教も多神教だが、途中段階のシバやサラスワティなど多くのパーソナルゴッドとブラウマは最高神ゴッドエッセンスである。
・仏陀は神を否定したのではないか。
→仏陀は否定したのでなくて無言だった。
ご興味ある方は、FB動画でも見ることが可能です。
https://www.facebook.com/gintenecoplaza/videos/257397822175691
(文責:浮田、PPT翻訳:山本裕子)
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