第11回環境サロン 吉田 陽さん 「296日間世界一周を経験して」 の概要です。
2015年12月04日
平成27年11月28日(土)宇部環境国際協力協会の共催も得て、宇部市文化会館第1研修室にて、第11回のサロンが行われました。
吉田さんはもともと早稲田の体育系学部(福原愛ちゃんが同級)の出身で、卒業後、2011年、山大医学部に学士入学。2013年東北大震災後の浪江町遺品収集ボランティアや、本州ヒッチハイク縦断、ママチャリで山口県500km一周、続く2014年に1年休学して296日世界一周した異色の経歴の持ち主。救急医を目指して、日々努力している。消防の方にも年1回は消防署で救助訓練などをしている。
外国体験はネパールに医療研修に行ったのが初めてで、価値観が変わり、世界をもっと見てみたいと思った。2014年バックパッカーとして、世界一周を試みた。30kgの荷物で出発した。しかしインドの列車中で、寝てしまい、バッグを盗まれた。幸い現金とクレジットカードは無事だったので、継続した。その後は、現地の恰好をしての旅行になった。
国によって、滞在時間が異なる。賄賂を要求されたカンボジアなどは短かったが、パキスタンやアルゼンチンは長い。インドネシアからスタートし、地図に示すルー十で空路、海路、陸路で移動した。アフリカはエジプトとスーダンだけに終わった。28カ国図中の黄色や赤の国分けは外務省の渡航要注意ないし危険度を表すものでとくに意味はない。
旅行中、宇部日報に「国境なき医学生の旅」シリーズを65話連載した。その他フォトジャーナリストとしての投稿で、いくらか費用の不足を補った。
宿泊は直接間接の知り合いや、行き当たりばったりの人の家にお世話になった。スーダンではアイカの人から紹介されたアンマールさんの家に世話になった。現地の衣装で、現地の風習に従って生活した。初日はヤギ、ウシ、トリ肉のご馳走、その後徐々に彼らの平生の食事になるが、その頃から信頼を得ることになる。ナイル川の水を瓶にためておいた水を飲むことになり、おなかを壊したこともある。
宿もドミトリーで多くの人が同じ部屋の何段かのベッドで寝るような所も多かった。
イスラムの国が多かったので、礼拝にもお供した。トルコのビーチで旅行者と一緒に散髪をしていたところ、知らない散髪屋の人に散髪してもらったこともある。
途上国にはシェアリングカルチャーがある。自分がレンタルしたベッドを供用されたことも多い。
スーダンからエジプトに向かう沙漠の道路はよく中国がつくっていることが多く、質が悪かった。チャイナタウンを作って、入植地のようになることもあるようだ。
旅行中、パーティーで話し合うことが多く、おかげで英語は上達した。スペイン語もいくらか話せるようになった。
病院を見学して、手伝うこともあったが、だいたいやはり資源が不足している。
Q:どの程度費用がかかったか。
A::体総額120~130万円くらい。バイトで貯めたお金では足らなかったが、知り合いから現金20万円やその他パソコン等も寄付をしていただいた。人に聞くと、平均的な費用は200~220万円くらいか。知り合いの家にお世話になったり、野宿もあるので、節約できている。
Q:航空券代金も含まれているのか。
A:急ぐので結構使った方だが、含まれている。
世界の事情:
スーダン:路上のカフェ、直売市場でプラスチック包装などはほとんどない。ネパールでも道路にごみを捨てる。
フィリピン:貧富の差が大きく、ごみにもプラスチックが多くなっている。ごみの処分場でスカベンジャーがごみから資源物を回収する。ごみタウンに多くの人が住んでいる。
途上国ではゴミ箱という概念がない。なかなかゴミ処理の啓発も簡単ではないと感じた。 NGOによる医療衛生に関する集会などで、参加者に立派な食事を振る舞ったり、現金を支給する場合もある。受講証明書ももらえるので、結構エリート層が参加することも多いい。
海外ボランティアや専門家にしても、現地語がしゃべれない、英語がしゃべれない、宗教を知らない。よくない3拍子。
ムスリムにも色んな流派があり、挨拶の仕方の違いも理解する必要がある。
日本人の非常識 平和ぼけ、銃のこともまったくしらない。連続的に射てるカラシニコフ銃、単発でしか撃てない銃、これらはその国の治安度を反映している。
徴兵制のあるイスラエルでは日常的に銃を持っているが、珠も入っていないので、怖くないが、日本人には非常に危険に映る。
外国で安保法案が、戦争法案としてのイメージで受け取られているので、質問をよく受けた。
パレスチナ自治区のこども達は現代のベルリンの壁で囲まれた地域から出ることができない。ISのことだけではなく、反対側の立場から見ることも重要である。
外国と比べると、日本では大人が十分生活の中で楽しんでいないことも感じた。
帰国後、4月のネパール大震災の復興支援も行っている。日本で資金を集めて、現地のチームに送金してきた。都市部の人は、自分たちでは何もできず、業者に頼まなくてはならない。田舎では、物資があれば何とか自分達で復興できる。
大量の支援品が届くが、それに伴ってゴミも大量に出るじょうきょうもある。近く、sの語の状況について確認に行く予定である。
ガイドブックにない絶景の写真
現地の人に紹介されて
ボリビアの四国くらいの平原に雨季になると3cmくらい浅く水がたまって、この景色も数年後には見られなくなるのではと懸念されている。韓国に企業がこの地下に眠るリチウムの採掘権を得て、すでに道路建設が始まっている。
動画: 後半はさだまさしの「風にたつライオン」 をバックに
https://www.youtube.com/watch?v=EG2qrOzoG-I
『よどみのない命を生きたい』 『現在を生きる事に思い上がりたくない』
質疑:
Q:何故医者を志されたのか。また今後は海外で働かれるか。
A:医師でなければできないことが多い。できる選択肢が増える。
若いうちは長期と言うことではないだろうが、海外に行っても良いと思うが、日本でもやらなくてはならないことも多い。
Q:一番つらかったことはどうだったか
A:沙漠の中の一本道 エジプトからスーダンからエジプトまで3千キロ。マラリアにかかっていて、悪い道路で揺らされる。上からも下からも。3日間、意識も飛びかけて、このまま、だめかと思って心細かった。
Q:ムスリムは酒は飲まないか
A:トルコはさほど厳格ではない。人によっては家で密造酒を造っている場合もある。
Q:他に外国に行かれたか
A:ネパールの他、オーストラリアとドイツに言ったことがある。
選んだ国は予算面が第一だった。現地で行き先ルートを変更したこともある。
Q:外国人から日本人はどう見られているか。外国で学んだことは。
A:愛国心のある方ではなかったが、日本人でよかったと思った。
ジャパンイコールJICAという印象がもたれていることが多い。概ね評判がいい。
ウィグル自治区は少し違ったが。
学んだことは、シェアリングカルチャー。そのおかげで助けられて生きながらえてこられた。知らない人から奢ってもらうことも多かった。だいぶんその習慣が自分にも身についた。もてなし精神はイスラム圏にかぎることではなかった。
Q:人の家に泊まること奨めるか。
A:半分半分、危険なこともあり得る。
C:是非、このような貴重な経験談は広く話していただいて、国際意識の啓発に役立てて欲しいと思う。
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