「世代間の対話~こころの環境づくり」第7回 「発達障害と環境の関係について」 林隆先生
2014年01月31日
平成26年1月16日(木)専門医として知られる林先生に発達障害と環境の関係についてわかりやすく話していただき、多くの参加者があり、この問題の関心の大きさを感じました。
まず、基本的な認識として、人間の成長、発達には、「素因」と「環境」という二つの要素を考える必要があり、その人が持って生まれたものである素因は変えられないが、環境は変えられることができ、それが自分のやっている診療の根拠になっているとされた。
関連して、ある童話をひかれて、じいさまの身に起こった事件の要因として、素因と環境のどちらの割合が大きいかという質問をされた。環境と考える人が少し多めで素因と考える人はやや少なめだったが、後者は自分を責めやすいタイプであるとのこと。
国際的にも、障害は能力が劣ることで一方的に人に悪い影響を及ぼすという考え方から、2000年代に入って、他人とは異なる能力として、状況を良くもし、悪くもする可能性があること、そして、医学モデル、社会モデルの両面から障害への対応をしていくべきであるという考え方になっているそうである。
要は障害といっても、正規分布のすそ野の部分に入る少数派ということであり、多数派が世の中のあたり前になっているだけで、これが、多数派が正しく、少数派は間違っていると考えてしまうことは誤った考えであるということである。この考えにたてば、発達障害のあろ子とは、変わっている子、みんなとちがう困った子ではなく、困っている子、言うことを聞かない子ではなく、言われたことが理解できない子などということになる。
発達障害には、読字、計算能力について少数派の学習障害、注意欠陥/多動性障害、人の気持ちの捉え方について少数派の自閉症・アスペルガー症候群があるということで、それぞれに説明があった。
なかには計算や数学に天才的能力のある人もいる。色々なことが気になり、順序よくしまい込むことができなかったり、落ち着かない。人の気持ちを読めないといっても、誰でも完全に読むことはできない。一瞬で人の顔を識別して表情を読み取る人もいる。言葉にも比喩的表現が多くあり、だれでも言葉の意味することを完全につかめるわけでもない。
こだわるということも、だれも多かれ少なかれ持っている。
最後に、発達障害という障害の特徴として、一次障害よりも二次障害が問題であり、つい親が子の将来が心配で、厳しいことを言ってしまうことが多いが、否定的な評価につながり、好ましくない方向に行く。二次障害の予防のためには、少数派の違いを理解し、尊重し、肯定的評価することで、彼らは安定し、自信を得、才能が開花し、社会の財産になることができるとされた。
議論:
○発達障害は増えてきているのでしょうか。
→増えているかどうかなかなか正確なデータはないけれども、先進国にしかないとも言われている。農業や、ものをつくる仕事が減ってきているのも関係あるかもしれない。生きることが精一杯の時代には、少なかったのではないか。東北大震災の時、「発達障害のお子さんをお持ちのお母さんへ」というメッセージを出した。世の中、不安を煽る人が多いが、「いまこそ子どもを信頼して、頼ってはどうか」という内容だった。ミクシーを通じてお母さん方に結構回ったようだ。実際彼らはずいぶんよく働いたようである。彼らにとっては日常的に有事であり、大震災の有事によく対応できると考えている。
○家庭の中での親の影響が大きいと思うが。
→その通りで、親の存在は重要な環境である。診療でも子どもより保護者に重点を置いている。情緒障害児短期治療施設でも、スタッフの子どもへの対応を肯定的なものにして、環境をよくすれば効果が違ってくるようだ。環境が、子ども達のメッセージをとらえ、うまく返してあげることが大事。子どもは手をかけることで発達する。
若いお母さん方が利用するインターネットでも子どもの育て方などの情報があふれているが、みんなの当たりまえ的なベストアンサーが正しいとは限らないことがあり、なかなかむずかしい。もうすこしあいまいさのようなものもあっていいのではと思う。
○親として、子への関わり方の教育をうけてから親になるとか必要でしょうか?
→意味はあると思うが、そう簡単ではない。親になる人はその親から学んでいて、それを捨てられないところがある。一応、お母さんのやり方を認めた上で、気づいていってもら
うようにしている。虐待でも躾との境目がなかなかむずかしい。
○早期療育、ティーチや応用行動分析などについてどのようにお考えですか。
→ある程度の枠組みとしては役に立つと思うが、理論で解決できるわけではない。手をかけると言うことが大事、理屈が子どもを変えるのではなく。関わりが子どもを変える。テラピーでも人によって成果が異なる。早期というより、相手の受け入れ体制が整っていることが大切ではないか。
○子どもの家庭教師で、インターネットを使っているが、ゆるキャラばかりに興味を示す。計算の文章問題では答えを見てから一緒に考えている。またお母さんが介入されるのもどうしたらいいか。
→家族以外のものが関わるのはいいことで、あまり家族の一員のようにならない方がいい。おもしろがって楽しんだらいいのではないかと思う。それから義務教育の段階では、答えから入るのは効果的と思う。
○障害をもつ子どもをそのまま受け入れられるような多様性を持つ社会であった方がいいといわれたと思うが、親が子どもを肯定しても、周囲の親から教室で迷惑をかけていると、責められることもあり、ちゃんとしないとこの子のためにならないと思ってしまうのではないか。
→30年お母さん達から教えてもらってこういう考えになった。われわれは自分の生き方しか知らないから自分が正しいと思っている。色んな人生があることに気づいてはじめて、少数者の生き方を理解することができるのだと思う。自分の子どもの人生も、自分の人生ではないので分からない。そのことを知り、人の人生も決して間違っていないと思えることが大事ではないか。ただし走り回って言うことを聞かない子を叱ってはいけないということでない。叱った後ごめんねよしよしすればいい。
○ほめることは意外とむずかしいと思う。
→信頼して何かをお願いして、やってくれたら感謝すればいい。自然に出るありがとうがいい。
2時間とすこし、立て板に水のお話で、大変内容の濃いサロンであった。参加者からも、非常に参考になったという感想が多かった。
・何度か先生の話を聴かせていただいたが、そのたびに新しい気づきをいただいている。
・不登校の子ども達のふれあい教室で世話をしているが、訓練して居づらかった教室に戻すのが役割ということもあり、一人一人対応の仕方も違うので、日々葛藤している。
・自分も少数派で、発達障害にあてはまるなと思った。芸術家にはそういう要素があるのでは。みすずの大漁がさかな屋に飾られていたりするのはどうかと思う。
今回のお話は少数派の発達障害の子ども達とどう対応すればいいかということだったが、多数派の人達の間でもどう対応すればいいかということにも通用することと思われました。
ただ、今回、かなり踏み込んだお話もしていただきましたので、残念ながらYoutube動画の公開は見送ることになりました。
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