2月2日(土)「世代間の対話(倫理について考える)」第7回「孤族社会における生命倫理を問う」話題提供 江里健輔先生 があり、総勢29名の参加がありました。
2013年02月07日
医学の進歩によって、長寿高齢化社会となり、生・老・病・死の中で、昔は生と死しかなかった感じだが、現在は、ガンでも多重ガンを持ちながら生き続けるとか、老・病のウェイトが大きくなってきた。心筋梗塞でも昔はすぐ死につながったが、今はいろいろな治療法ができている。先では心筋細胞の再生もできるかもしれない。
2025年には団塊の世代が75歳になり、死亡者数は150万人を超える。だれが高齢者を見るのか体制を整えなければならない。亡くなるか場所を用意することも大変になる。日本では自宅で介護できる条件が整っていない。大部分は医療機関で死亡しているが、対照的に、オランダでは、家族も一緒に過ごせケアが行き届く施設や自宅で亡くなる割合が多い。特別養護老人ホームは恵まれた施設だが、半年から1年待ちであり、介護度の高い方を優先し、そう簡単に入れない。介護士も給料が少なく、離職率が高い。全体に非常にきびしい状況にある。
同時に、核家族化や、一人ぐらし、独居老人も増え、つながりの希薄な「孤族社会」といわれる社会になってきた。孤独死も増えてきた。昔から冠婚葬祭時には近所の助け合いが機能していた。二人暮らし老夫婦で一人が倒れれば、まず近所の助けを呼び、頼りにできたが、いまはそういうわけに行かなくなっている。いまはそれに代わる、自助、相互扶助をできるだけ強化した上で、在宅医療支援の公助のシステムを構築することが求められている。近所の相互扶助には、個人情報を持ち合うことが必要だが、個人情報の保護の点からもやりにくい社会になっている。
さて、医療は個人のプライバシーに関わる仕事であり、また、他人の身体に触れたり、臓器の一部を採取せざるを得ないというような、医療そのものが倫理に関わるものであり、医療の世界では、守秘義務の倫理や生命倫理が重要になっている。
「倫理」は人と人の間の規範、仲間同士の規範ということならば、モラルよりは個人の要素が強く、まず人間とはなにかということから考えなければならない。人格の定義として、「思考する知的存在」、ものを考えることができるのが人間とか、「理性、コミュニケーション能力を有した存在」など、の考え方があるが、なかなかむずかしい。
また医療の倫理に関連して、最近は医療技術の高度化もあって、インフォームドコンセントが徹底していることが紹介された。患者側はよく医師の説明を聞いて、自分が受ける医療を自分で選択することができるようになることが期待されている。患者も賢くなって自分の体は自分で守ることが大事である。
その後、生命倫理や医療倫理に関連して、具体例を示され、参加者の皆さんはどう考えるか、問題提起をされた。
・人工透析の器械が一つしかなかったとき、誰に優先的に使わせるのか、その判断は、誰が、どのように決められるのか。
・心臓移植の場合はどうか。重症度、その後、社会貢献できるかなどが考慮されるが。
・人工妊娠中絶についてはどう考えるか。いろいろなケースがあって、判断がむずかしい。出生前診断で、ダウン症候群が見つかった時に中絶が許されるか。
一般に人工中絶に反対する立場としては、胎児もわれわれ同様人間であり、生きる権利を持つ。あるいは人間でないかもしれないが、人間になる可能性を持っている、といった意見がある。
・胎児は人間なのか、見当識のない老人は胎児とどう違うのか、
などいろいろ難しい問題が提起されたのち、最後に、自然の摂理を超える医療は何処まで許されるか、そして「人間の不安は科学の発展からくる。進んで止まることを知らない科学は、かつて、われわれに止まることを許してくれたことがない。」という夏目漱石の言葉を紹介された。
これらの問題提起に対して、いろいろ活発な議論が行われたので、以下に紹介する。
○生命倫理について
・「有限な地球で、人類がいかに生き延びるかを問題とした「生命の科学」というV.R.PotterのBioethics(生命倫理)の定義はすこし狭いのではないか。他の生き物たちの生命の尊厳ももっと考えるべきではないか。
・これまで医学はできるだけ生命を長く保つということに注意を払いすぎてきたのではないか。死に際して、心の平静を保つ手助けや、宗教者が死の引導を渡すというようなことも大事ではないか。
○患者側がしっかりしないといけないというのは、どんな意味だろうか。
・患者はよく分からないから、医者に任せざるを得ない面があり、インフォームドコンセントは医者の保身につながる面があるのではないか。
→最近はインフォームドコンセントが重視され、患者の知らない間に、手を加えることはよくない。患者が納得して治療を選択するために、徹底したセカンドオピニオンの制度ができた。患者側にはその権利が保障されている。医者も専門分化しているので、非常にいい制度であると思う。
医者の倫理観の問題と思うが、患者と医者、両者の信頼関係が大事と思う。
ガンなど病名の告知はするが、死の告知はしない。また重要な告知は、夕方ではなく、朝にするのがよい。
○心臓移植手術の対象として、80才か20才かどちらかを選ぶことができるか。
・常識的には若い人を選ぶべきだと思う。
・社会的にかかる費用と言うことも無視はできないのではないか。
・心臓移植ではなく、人工心臓をつける場合では考え方は違ってくる。
・あまり命の執着するのはよくないのではないか。人はいずれ死ぬのだから、日頃から、それに備えて、死の覚悟を決める潔さを養っておくことも大事だと思う。
・患者本人の立場が大事と思うが、手術後の状態が本人にとってどのようなものかということにもよる。
・80才といっても、患者の自己負担とか、術後の期待される健康状態とか、その人物の重要度とかによっても違うかもしれない。
・人の命の尊厳というのはそういった条件によって変わってしまうのか。
・昔は、姥捨山伝説があり、余命幾ばくもない高齢者は暗黙の了解、世の中から、静かに消えていくという考えがあるのではないか。いまでもある程度残っていると思う。
○人工妊娠中絶の是非について、どう考えるか。
・妊娠初期の胎児は人間とはいえないかもしれないが、母親にとっては、母体と一体であり、こころの中にある大変尊い存在である。母親の心が育っていないのに、妊娠して問題となることが多くなっているのではと思う。
・そうなると、母体保護法で21週を境目に、考え方が異なっているのは、いいのだろうか。
・望まない妊娠であっても、生むかどうかは、その女性が、権利と責任をもって、選択できることであり、他人が決めることはできないと思う。
・障害児を産んだ経験のある場合、その後の出生前診断で結果がでるまでの時間の苦しさは非常に大きかった。重大な判断を迫られるとき、母親が判断するための、こころの手助けも重要だと思う。
→母親のこころの重要性を認識させられた。母親の心のケアというのが大事だということも意識した方がいいかもしれない。
○人間とは何か。胎児は人間か。見当識のない老人はどうなのか。
・意識のない胎児は、人間ではないかもしれない。たとえ見当識がないにしても長く生きられた老人とは違うと思う。
・重度の心身障害者で見当識もない人がいるが、その人は健常に生きている人に色々考えさせ、影響を与えている。存在としては、非常に大きい。大切に考えなければいけないと思う。
・星野先生は、人間は関係性があってこその人間であるという話をされた。現在のグローバリズムの効率競争社会では、大事な人間の関係性を希薄にされている面がある。
http://www.ustream.tv/channel/kankyo-salon でビデオを視聴いただけます。
次回は2月16日(土)15時から、千葉泰久さんによる「企業人の倫理について~科学技術をどう活かすか」です。
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