上山大峻先生から「日本人の自然観~仏教からの影響~」を学びました。
2012年10月29日
上山先生は、昭和9年生まれ長門市の浄土真宗浄泉寺住職であり、龍谷大学の学長もされておられた方です。「金子みすずがうたう心のふるさと」自照社出版、「仏教を読む-釈尊のさとり、親鸞の教え」本願寺出版などの著書があります。今回の環境サロンでは仏教の基本的考え方をわかりやすく紹介していただきました。いま仏教的な考え方が求められている時代ではないか、そしてイスラムと仏教の相違点、共通点についても議論され、大きな方向性で、異なる文化を理解し、連携していく可能性を模索したいとされました。以下先生のお話の概略を紹介します。
キリスト教やイスラムは一神教で、神がすべてというところがある。そのような一神教の立場から見ると、仏教は宗教と言うよりも、人間が自分でどう生きるかという倫理や道徳のようなものとみなされる。明治以降、宗教学が入ってくるが、キリスト教を中心としたので、仏教は宗教とは認められなかった。
日本人は仏教伝来、聖徳太子以来、仏教が考え方のバックボーンとなってきており、1400年も同じ宗教(考え方)を貫いている国は実に珍しい。明治4年に廃仏棄釈で一時、混乱があったが、日本人には、ベースに仏教の考え方が、しみこんでいる。人のことを思いやる。礼儀正しいといった国民性は昨年の大震災のときにも再認識された。
仏教では、一番大事なものは命と考える。神ではない。イスラムでは、命と神ではどちらが大事と言えば、神が大事となる。
誰にとっても一番大切なものは、自分の命である。だから相手の立場に立って考えれば、他の命も大事だと、理解しなければならない。思いやりとはそういうもの。いじめでも、「あの子の立場に立ってみたらどうなのか」と考えることができれば、いじめられないはずである。
そして平等性や和を大切にする。仏教の五戒の第一にくるのは不殺生戒だ。「和をもって貴しと為す」というのも、聖徳太子の十七条の憲法の最初にうたわれている。イスラムやキリスト教では、まず唯一の神を信じるということが、第一にくる。
和を重んじる仏教の精神では戦争できないので、戦前は戦争するためには、天皇を神とする神道を前面に出さざるを得なかった。一方、キリスト教やユダヤ教では、選民意識があり、人間の間にも差別がある。またキリスト教では人間中心主義。人間と人間以外の動物とは平等ではない。仏教は、存在するものへの平等観を重視する。金子みすずの「大漁」の精神は仏教からきていて、世に出たとき世界からたいへん驚かれた。
釈迦の教えは、みんながそう考えることを集約していく帰納法に近いが、一方、何を見ても永久不変のものはないとか、自業自得とか、死は誰にでも訪れる、といったような法則が演繹法により、慎重に確認し検証されている。釈迦の教えは生きていく上での合理的な方法を示している。
キリスト教やイスラムでは、一番大切なのは神の真理なのでそれを無条件に受け入れて信じる。これが典型的な宗教であるとすれば、仏教は宗教ではないことになる。
真実、宇宙の意志と言ってもいいが、人に伝えようとして阿弥陀仏のような形をとることを権化あるいは権現という。イスラムでは神(絶対の真理)の姿は見ることはできない。神の意志を伝える預言者はいるが、人と神は全く別物である。
神仏習合も日本の重要な伝統であるが、浄土真宗は、迷信を嫌い、アミニズム的な要素はあまり大事にしない。
しかし、つきつめていけば、慶応大学井筒先生の説にもあるように、仏教とイスラム、あまり変わらないのではないか。大きな意味で考えていかないといけないと思うとされた。
環境問題と関連づけて見ると、
・縁起の考え方も仏教の普遍の法則の一つである。ものごとには、原因があって結果があり、またその間に様々な縁のはたらきがからむ。すべてがつながり関係しあっている。失敗の原因を分析し、繰りかえさないようにすると言った倫理観にも関係する。余談として、日本人は失敗すると自分の責任と考えるが、イスラムの人は自分が失敗しても神のご意志としてしまうことがある。
・一切衆生悉有仏性 命のあるものはすべて仏性をもっているという趣旨であるが、こちらの方が草木国土悉皆成仏よりも釈迦の元々の考え方に近い。
・如実知見(実のごとくに知見する)そのままその本質を見る。どのように真実を見分けるのか。ありのまま、あるがままに見るということ。みすずのみんな違ってみんないいという心である。
・分別→無分別→分別 :仏教では本質的平等性を重視している。そのこころ、智慧の目で見ることが大事である。今の社会では、受験競争や差別化が激化している。
・仏教では真理より真実という言葉を使う。人は色眼鏡をかけてものを見るので、人によって見たものが変わってくる。また人によって見える、見えないがある。無心、本当の分別でもって、真実を見ていくことが大事だ。
・自灯明 法灯明: 自分で考え、真実の教えに従って考えなさいということ。権威主義ではない。誰かにたよればいいというものではない。
質疑は以下の通り、
○人間は宗教に何を求めるのか。
→ 人間は弱いから。誰かに頼りたいと思うのではないか。
○釈迦も権威を否定した、イエスキリストもそうだと思うが、その後、そのようにはならなくなってくるが、なぜなのか。 教団が食べていくためではないか。
→ 後継者を誰にするかというのは、むずかしい。しかし教団には常にいかに修正していくか、正しいものはなにかという姿勢もある。
○仏教の五戒のトップに不殺生があるが、日本で自殺が多いのはなぜか
→ 一神教では、自分の命は神様の贈り物なのだから、自殺は罪であるとされる。みすずも自殺したが、いたしかたないこともあるだろう。ただ最近の状況は違った要素を考える必要があるだろう。
○仏教の内容についてあまり知らない現在の状況は、江戸時代以来、堕落し、明治維新の廃仏棄釈、戦後の高度経済成長の一連の流れを考える必要があるのではないか。
→ たしかに江戸時代はお寺から批判精神を徹底的に抑える体制がとられた。織田信長 お寺からの批判精神をおそれて弾圧したと考えられる。
○イスラムでは戦争が多いような印象があるが、なぜか。
・政治の面だけを強調されすぎている。ジハードはある。神の正義の実現のために暴力は否定しない。(参加者のコメント))
→なぜ戦争で、殺し合いをするのか。仏教は、その原因として、人の心まで遡る。突き詰めていくと、利己的な欲望(煩悩)が原因になる。それを制御して、純粋な欲望だけを残す。釈迦の涅槃像の画で、いろいろな民族の姿の人々が描かれている。
・イスラムは「平和」という意味である。
・東南アジアへのイスラムの浸透は商人ベースで平和的であった。
→ 福祉だとか税金などの面で、配慮していることが大きいのではないか。
○三歳までの小さいときの教えが大事と思うが、これから日本はどうしたらいいのか。
○欲望を適正に制御して、怠惰に流れず、しかも現実の世界に対応していくのか。
→ どうバランスをとっていくのか、非常に大きな問題である。とくに戦後、価値観が大きく変わり、いまの時代は無茶苦茶になっている。ブータンの国が今後どうなるのかも心配だ。
Ustream は、http://www.ustream.tv/channel/kankyo-salon
本シリーズ次回は、11月17日(土)15時から田村洋一先生の「団塊の世代の倫理観について」です。ユニークなお話が伺えると思います。
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